ほぼエッセイ

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忘れるためにメモを書き、脳内メモリの回転率をあげる。

会話の途中で何を話していたのか忘れるという経験が年齢と共に増えているような気がするのは自分だけでしょうか?もしかすると、脳内メモリのデータ保持力が弱まっているのかもしれませんね。コンピュータにはRAM(Random Access Memor...
ほぼエッセイ

手間の数をコントロールして自分を導く。

誰しも、やったほうがいいと分かっているのに出来ていないこと、習慣にしたいのに出来ていないことの一つや二つあるでしょう。だから「三日坊主」が誕生するわけです。やる気とか根性をあてにした取り組みは脆弱です。やる気が落ちることがないのであればいい...
IT

リアルコミュニケーションはなくならない。

 新しいデバイスや技術、それを使ったコミュニケーションツールが出てくるたびに一見すると便利になっているような錯覚に陥ります。しかし、新しいコミュニケーションツールが既存のツールを完全に代替した例はほとんどありません。手紙はなくなっていません...
ほぼエッセイ

ベンチマークとしてのblog執筆。

少し前に、「誰をベンチマークとするかで世界が変わる。」というエントリを書きましたが、目的によってはベンチマーク対象は何も他人に限らないというお話です。ベンチマークをここでは「基準とする指標」と定義して話を進めます。さて、そもそも基準が必要な...
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三次元の位置情報がないと読書は難易度があがる?

電子書籍の代表格であるKindleが上陸してまだ2年弱ですが、Kindle版が刊行される書籍の数は体感的にもだいぶ増えてきたように思います。とはいえ、Kindleに全面移行する人はまだまだ少ないようで…。電子書籍のメリットはなんといっても物...
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良質な思考のためには大量のインプットが必要で。

最近は「思考の言語化」を毎日のように考えています。いかにして思考を言語化するのか?そのときの手順はいかなものであるか?どうしたら言語として凝固するのか?いまだ答えらしき答えは見つかっていません。それゆえ、今日もこうして曖昧模糊としている脳内...
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大学の一科目分をいまから学ぼうとすると…。

社会人になるとゆっくり学ぶ時間がない、などと言いますが本当にそうなのかを少し考えてみます。学生時代は週五日、朝から夕方まで学ぶことができます。とはいいつつも、毎日びっしりと講義を受ける学生は良くも悪くも少数派です。よって平均的な学びの時間は...
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思考において具体からはじめて、どこまで抽象度をあげられるかが勝負。

二項対立となる関係は沢山ありますが、「具体」と「抽象」の関係は非常に重要なもののひとつと考えています。こと思考においては最重要といっても過言ではないかと。多くの人は具体(例)をいくつか目の当たりにしてから、それを抽象化した概念(考え方)を学...
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誰をベンチマークとするかで世界が変わる。

コンピュータの世界にはベンチマークソフトというものがあります。種類の異なる様座なコンピュータの性能を測定して指標化するためのソフトです。たとえば、スパコン「京」が世界一になったことがありましたが、これもベンチマークソフトの結果が一位だったと...
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思考とは、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」。

やはり思考というのは流れゆく水の如しであり、はたまた覆水盆に返らずであると思う今日この頃です。人は起きている間中、あるいは寝ているときでさえ何事かを考えているわけですが、一瞬にして時と共に流れていってしましいます。ときに湧き水のように思考が...