ほぼエッセイ

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人生における機会損失に気をつけよ。

何か行動を起こして失敗するよりも、何もしない方が安全でよいかというとそうとも限りません。往々にして機会損失という視点が抜け落ちているからです。何もしないという意思決定をしたということは、何のリソースも投下せず、場合によっては時間を浪費するこ...
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常に見解をアップデートし続ける姿勢。

世の中には発言をころころ変えて「朝令暮改」だと言われる人もいれば、自分の考えに固執する「頑固一徹」な人もいます。このあたりのさじ加減は難しいところです。それは、他人を評価・分析する場合もそうで、他人への見方をすぐに変える人もいれば、なかなか...
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先を予見しようとする姿勢。

いわゆる、デキル人というのは何が違うのか、というと色々な要素があるのだと思いますが、ツボを押さえるというのもその一つではないでしょうか。おさえるべきポイントをしっかり見通せているということです。複雑きわまりない世の中にあって、先々を完全に見...
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文明の利器はもろく、原始的なものほど強い。

文明の利器は通常時は非常に便利なものですが、いざ非常事態がおきると途端に役に立たなくなったりするものです。というのも、高度なものほど前提する条件が厳しいからです。もはや手放せなくなりつつあるスマートフォンもバッテリーが切れればただの文鎮です...
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たまには既存メディアの擁護など。まだまだTVは終わらない?

インターネットの登場以後、TVの凋落が叫ばれて久しい昨今。このままTVが滅び行くのかを考えてみます。「バイラルメディアも栄枯盛衰?」で、ネットメディアの中でもバイラルメディアは人の感情に訴えかけるネタが多いと書きました。これを即物的と捉える...
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とにもかくにも時間を味方に。

書物をひもとくと、ひとは、1年でできることを過大評価し、10年でできることを過小評価する生き物なようです。1年がんばればなんとかなる、というメンタリティということでしょうか。なにかを始めるときに人があてにしがちなのが、モチベーションとか根性...
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悪を見つけて叩き合うよりも、善を見つけてティーアップしまくるべし。

今年も半分以上が過ぎました。そして、世間を騒がせたニュースがいろいろと。というよりは、世間が騒いだ、といった方が正しいやもしれません。ここでは具体的な事例をあげることはしませんが、ネガティブな事実が表面化して、それを既存メディアもネットメデ...
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「成功」ではなく「成果」と書く、その理由は?

このBlogでは「成功」という言葉は極力使わないよう意識しています。似たような意味に思えても「成果」という単語を使うようにしています。それは、「成功」という言葉の響きがイメージするところよりも、「成果」という単語が想起させるイメージを求めて...
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なぜ自分を客観的に評価・分析することが必要か?

多くの人が「自分のことは自分が一番よく分かっている」と考えています。確かに自分のことを一番考えているのは自分でしょうから一理あります。一方で、そのほとんどの時間を主観の世界で生きているのもまた事実。自分自身を知る、が本日のテーマです。現代に...
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うまい講師は何が違うのか? ここでも抽象化能力がキモ。

義務教育に始まり、高等教育へ進み、さらに社会人になってからも各種の研修や勉強会。いまの時代は学ぶ機会は山ほどあります。知識労働の時代には学び続ける必要があるわけですが、それだけに誰に教わるかというのは重要な問題です。物事を教えてくれる人(い...