手間の数をコントロールして自分を導く。

ほぼエッセイ

誰しも、やったほうがいいと分かっているのに出来ていないこと、習慣にしたいのに出来ていないことの一つや二つあるでしょう。だから「三日坊主」が誕生するわけです。

やる気とか根性をあてにした取り組みは脆弱です。やる気が落ちることがないのであればいいですが、モチベーションに波のない人間などいないでしょう。根性とてどこまで持つかは怪しいものです。

そもそも何が障害かというと、「めんどくさい」という心の動きです。これが「今日ぐらいいいんじゃない?」という悪魔のささやきを呼び起こすのです。そして、それが二日三日と続き、元の木阿弥となる。誰しもが通る道です。

悪魔に囁かせないためには、「めんどくさい」と思わないようにする必要があります。体感的には一手間増える毎にめんどくささは指数関数的に増幅するように思われます。つまり耐えられるのは最初の一手間か二手間ぐらいまでで、三手間を超えてくると面倒になる確率は飛躍的にあがるというわけです。

したがって、手間と思わないよう、いかに日常に溶け込む形で新しいことを始められるかがキモということになるでしょう。仕組み化といってもいいかもしれません。ここを最初にうまく作り込めるか否かで、その試みが成就するかは決まると言っても過言ではないでしょう。

本を読むことを習慣としたければ、いつでも手元になぜか本があるという状態を作り出す必要があります。英語のリスニングの練習をしたいのなら、音楽を再生するより先に英語が再生されるようにしておかねばなりません。録画してある教養番組を見たいのであれば、テレビの電源を付けた瞬間にバラエティー番組が流れるようにしてはいけないのです。

各々をどう実現するかは実装論として悩まなければいけませんが、基本的にはそういう方向性で考えなければいけない、ということです。

裏を返すと、やらないでおきたいという事に関しては、いかに「めんどくさい」と思うように仕向けるかが鍵になります。三手間、四手間かかるようにしておけば、誘惑がめんどくささに負けてくれるかもしれません。

つまるところ、手間の数をどうコントロールするかを考えることが、自分を行きたい方向へ導く一つの手段になるということでしょう。

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