思考とは、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」。

ほぼエッセイ

やはり思考というのは流れゆく水の如しであり、はたまた覆水盆に返らずであると思う今日この頃です。

人は起きている間中、あるいは寝ているときでさえ何事かを考えているわけですが、一瞬にして時と共に流れていってしましいます。ときに湧き水のように思考が沸いてくることもあるわけですが、それとて形あるものとして残すという作業をしなければ、あっという間に忘却の彼方です。

まさに思考というのは揮発性のメモリ上に展開されているというわけです。記録しておきたくば「名前を付けて保存」をしないといけないわけですね。なんらかのレッテルをを貼っておくことは記憶・記録の両面で重要です。

もうひとつ、思考は源泉かけ流しであって、循環式ではありません。何が言いたいかというと、その時の思考とは一度限りのものであって、しばらくしたからといってまた湧き出てくるわけではないということです。その時々の外部環境・内部環境が組み合わさって出てきた思考なので、あとから遡ってみても臨場感のある状態に復元は出来ないですし、復元してもそこに臨場感を感じられないのです。

そういう意味では自分で書いたソースコード(プログラム)に似ているやもしれません。ソースコードにはコメントを付すことが推奨されるわけですが、それは未来の自分という他人のためであったりもするわけです。思考の記録にもちゃんとコメントが必要かもしれません。

実のところ、己が過去に残した思考の断片を見るにつけ、思考というのがいかに儚いものか、そう思い知らされたのです…。

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