思考

ほぼエッセイ

なぜ一般化(抽象化)したいか? それは何度も再展開したいから。

数学の授業では最初に具体的極まりない例を用いて何かを計算した後、それを公式にしてみるという一般化が行われます。その過程では公式が正しいことの証明が行われるものの、その意味が分かるのは往々にして歳月がたってからですが…。数学、もっというと科学...
ほぼエッセイ

なぜ語彙が必要か? 〜語彙力=表現の数とわかりやすさの関係〜

よく、「ビジネス文書は平易な言葉で書け」と言われます。小難しい表現を使って伝わらなかったら元も子もないからです。そうすると、そう多くの語彙力(表現)は必要ないように思えますが、果たしてどうでしょうか?例えば、あるAという事柄について説明した...
ほぼエッセイ

舞台裏に回らずともカラクリを理解することが出来れば。

きらびやかな舞台には、それを支える大勢のスタッフと様々な仕組みがあります。観客の見ている世界の裏側にカラクリというのは仕込まれているのです。ここで言う「舞台」と「観客」は何も演劇やコンサートの話には限りません。舞台を「世の中」、観客を「人々...
ほぼエッセイ

次に来るのは物流のラストワンマイル問題?

ユーザに通信接続を提供する最終工程を「ラストワンマイル」と呼ぶことがあります。ブロードバンド回線がこれだけ普及した今となっては聞くことも少なくなりましたが、ネットの普及期にはちょくちょく聞かれた単語です。幹線となる通信ネットワークから、各住...
思考

得意であり好きでもあることで成果をあげる。

サザエさん症候群というのは、日曜の夕方になると翌日からの会社勤めを思って憂鬱になる症状のことをいいます。そんな言葉が作られるくらいなので、会社に行くのが好きな人は多くはないのでしょう。しかし、一方で仕事が好きでいきいきと働いている人がいるこ...
思考

「出来る」と「教える」の間にある壁を具体と抽象から考える。

何事かを、「知る」「分かる」「出来る」「教える」ということは似ているようでそれぞれ違いがあります。今回はこの違い、とくに「出来る」と「教える」の違いに焦点を当ててみます。「知る」ということは、何事かを単なる情報として受け止めているだけの状態...
ほぼエッセイ

悪を見つけて叩き合うよりも、善を見つけてティーアップしまくるべし。

今年も半分以上が過ぎました。そして、世間を騒がせたニュースがいろいろと。というよりは、世間が騒いだ、といった方が正しいやもしれません。ここでは具体的な事例をあげることはしませんが、ネガティブな事実が表面化して、それを既存メディアもネットメデ...
思考

なぜ具体例を出すときは複数あった方がよいのか?

何かを説明するときにはよく使う「例えば…」というフレーズ、それは抽象概念に対して具体的な事例が必要なときに登場します。この具体例ですが、複数ある方がより分かりやすくなります。まずは、抽象と具体の関係からおさらい。具体的な事例から些末な部分を...
思考

不特定多数が書いているかどうかよりも、検証されているかが重要。〜 いわゆるWikipedia問題 〜

物事の定義を語るときに「Wikipediaによると…」という表現が様々な文章で見られるようになった一方で、「Wikipediaは不特定多数の人間が執筆しているから信頼性に劣る」という言説もいまだに聞かれます。不特定多数の人間だと本当に駄目な...
思考

ヒューリスティックの罠にかからぬよう仮説検証を繰り返す。

人は五感で感じられる情報を知覚し、物事を判断しています。しかし、ときに事象を捉えているだけであって背後にある構造が見えていないことがあります。あるいは見えた気になっていることがあります。ヒューリスティックの罠です。たとえば、「さいころの目と...