なぜ一般化(抽象化)したいか? それは何度も再展開したいから。

ほぼエッセイ

数学の授業では最初に具体的極まりない例を用いて何かを計算した後、それを公式にしてみるという一般化が行われます。その過程では公式が正しいことの証明が行われるものの、その意味が分かるのは往々にして歳月がたってからですが…。

数学、もっというと科学というのはこの「一般化」というのを非常に重視します。見いだした理論・公式・法則といったものが普遍であることを期待するからです。普遍であればこそ、まったく違う場面でもその公式や理論をあてはめて利用することが出来ます。もし、一般化されていなければ、それはたんなる一事象にしかならないのです。

「一般化」ほど厳密ではないにしても、世の中の現象だったり、あるいは個人のキャリアについて普遍的な事実を知るというのは重要なことです。なぜなら、それは特定の人物や場面に寄らず、人生のあらゆる場面で活用することが出来るからです。

古来からある故事成語・格言・ことわざといったものは、まさにその具体例と言えるでしょう。例えば、「鶏口となるも牛後となるなかれ」ならば、大きな組織の配下に服従するよりも、独立した小さな団体のトップである方がよいということですが、これを現代の企業組織にあてはめるとなかなか深みがあります。

このように、一般化されたモノというのは多くの場面に適用できるので波及効果が高く、ときに一粒万倍となるわけです。

したがって、常日頃から身の回りに起きた出来事を一般化するというの非常に大事であり、ここで必要なのが物事を抽象化して捉える能力、別名メタ認知能力です。この能力を鍛えることによって、自分なりの格言を作ることができ、より豊かな人生を送ることが出来るのではないでしょうか。

タイトルとURLをコピーしました