■ 人間の記憶力というのはアテにならないもので
「これは忘れないだろう」と思っていても
数ヶ月たつとキレイさっぱり忘れている
なんてことは珍しくありません。
プログラムを書くときには、
「他人」がコードの意味を理解しやすいように
人間向けに「コメント」を記載するのですが
「他人」というのは「将来の自分」でもあります。
数ヶ月後には自分の書いたコードも
何をしたかったのか一読では理解できないほど
忘れてしまうものなのです、、。
■ それだけ忘れっぽいのが人間なので
記録しておくというのは非常に重要です。
「メモ」が必要なのも人間の記憶力が
あてにならないからこそです。
沢山の意義ある話を聞いてもその大半は
記憶から抜け落ちてゆきます。
脳のワーキングメモリはあっという間に
あふれるので
外界に書きだしておくことが
必要なのです。
ただし、たくさんメモをとったからといって
それで目的が達成されるわけではありません。
(ワーキングメモリを解放するという点で
意味がないわけではないですが)
書きだした内容を咀嚼、活用し、自らの
血肉になってはじめて本当の意味をなします。
よって本質的に重要なのは
メモの多寡ではなく実際に修得できた量
ということになるでしょう。
たくさんメモをとったからといって
ひとり悦に入っていてはダメなのです、、。
(自戒を込めて、、)
■ ではここの歩留まりをどうあげるか?
というのはまた別の機会に考えます、、汗
今日の【まとめ】
■ 拙い記憶力を補完するためにメモは重要
■ ただし最終的には血肉にすることが前提
■ メモの多寡は本質的には重要でない