「決める」ことを決める。

ほぼエッセイ

何事かをなしたいなぁと感じながらも何もできずに終わっている人は多いのではないでしょうか。残念ながら願望だけで物事が成就するほど、この世は都合良くはできていないのです。

重大な決断の前には十分な検討の時間をもつ必要がある、というのは一理ありますが検討時間を延ばしたところで結果が良くなるという保証はありません。たとえ世界がパラレルワールドだったとしても、我々が認識している空間はひとつだけなので、別な選択肢をとったときの結末は知りようがありません。

つまり、悩もうが悩むまいがその決断が最善だったかどうかなんてわかりはしないのです。むしろ、選んだ方が最善だったと思えるようにすることに注力する方が生産的でしょう。悩む時間も後悔する時間も生産的ではありません。

「人は短期的にはやったことを後悔して、長期的にはやらなかったことを後悔する」という話を耳にしたことがあります。年老いた人は異口同音に「若い頃にもっといろいろなことに挑戦しておけばよかった」というらしいのです。

新しいことに挑戦すべきかどうか、悩むこともあるでしょう。あまりに向こう見ずなのは単なる無謀なので、多少は悩むべきなのかもしれません。しかし、どこかのタイミングで「決める」必要があります。行動するにせよ、しないにせよ、決断が必要です。

もしかすると、最初に決めるべきことは「決める」ことかもしれません。

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