仕事も日常も混然一体となった生活。

思考

近年は「ワーク・ライフ・バランス」という単語をそこかしこで見かけます。この言葉の解釈は立場によっても違うようですが、仕事一辺倒な生活に疑問符(あるいは明確な否定)を投げかけているのは確かでしょう。

確かに、労働時間=会社にいる時間とし、かつ労働時間が長いほど勤勉という風潮はどうかと思います。いたずらに労働時間を長時間化させて、人生の質をおろそかにしては幸せな生活にはならないでしょうから、そこに一石を投じるのはまっとうでしょう。

とはいえ、これからますます増えるであろう知識労働者に関していえば、仕事とそれ以外を分けることはナンセンスかもしれません。良くも悪くも知識労働者の成果は労働時間に比例するとは限らないという特性があります。むしろしないことの方が多いかもしれません。

もう少しいうと、知識労働者は考えることが仕事のひとつですが、これは9時から17時で区切れるようなものではありません。アイディアはいつ何時訪れるか分からないので、ある意味では24時間働く(考え続ける)ことになります。

などというと、まるでブラック企業のようですが、別に24時間職場に縛り付けるわけではありません。むしろ、成果があがるのであれば職場にいる時間など短くてよいのです。あくまで評価されるべきは創出した価値であって、会社にいる時間ではないからです。

そういう意味では、労働時間という概念自体が崩壊していくのかもしれません。ただ、よくよく考えてみると仕事とそれ以外を明確に分けられたこの100年ぐらいがむしろ例外だったのかもしれません。

工業化が進む前はほとんどの人が農業などのいわゆる第一次産業で生計を立てていたはずです。こういった自然を相手にする仕事に明確な始業時刻や終業時刻、はたまた定休日など存在しなかったはずです。つまり、そもそも明確に「仕事の時間」が定義されていたわけではなく、日常と仕事(労働)は混然一体となっていたはずです。

知識労働者の働き方というのはそういう時代へ回帰しているだけかもしれませんね。

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