気を抜いたときに出てくる素の自分が行うのは習慣化されたこと。

ほぼエッセイ

「我を忘れて」などというように、時に人間は自分自身に対してすら気がおよばなくなるようです。そんな時に出てくるのは素の自分なわけですが、それは習慣によってある程度きまってるのかもしれません。

朝起きてから家を出るまで、あるいは家に帰ってきてから一息つくまでの間を意識して行動している人はどれほどいるでしょうか。多くの人がほとんど無意識的にいつもの行動をしているのではないでしょうか。

それは、良くも悪くも習慣の力によって活動していると言うことです。身体に染みついているから何も考えなくても行動できるし、してしまうのです。もちろん、そういう場面は朝夕や家に限らず、昼間でも職場でも人それぞれ習慣化された行動があるでしょう。

こういった行動は「意識」をすれば補正できますが、気を抜けばいつも通りになってしまいます。ということは、普段から「よい」行動を身につけて習慣化しておけば、気を抜いて惰性で過ごしてもそれなりの形になるでしょうし、「わるい」習慣を身につけてしまっているとすると、気を抜くと結構めんどうなことになるかもしれません。

「よい」習慣というのは身につけるのは大変ですが、身についてしまえばある種の惰性で生きていてもよくなるという面白い存在です。ときどき思い出しては自分を動機付けしながら「よい」行動を心がけるぐらいなら、さっさと習慣化して惰性で生きた方が楽しい人生になるかもしれませんね。

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