開示していないのに都合良く漏えいする事はない。

ほぼエッセイ

一度ならず「なぜ自分のことが理解されないのか?」という憤りを感じたことがある人は多いのではないでしょうか。もっと言うと「なぜ、察してくれないのか?」などと思うことすらあるかもしれません。しかし、そんな思いが全くの筋違いではないかと疑ってみるべきです。

日本という国では思想の自由が憲法で保障されているので、何を思っていようがOKです。聖人君子な考えであっても、極悪非道なことであっても、破廉恥なことであってもよいわけです。それが、世の中に公開されてしまうと内容によっては法的/道徳的に問題になるわけですが、人間の脳内は意図せず開示されることはないので実際に問題が生じることはありません。少なくともテレパシーが普及しない限りにおいては、ですが…。

逆に言うと、意図して公開しない限りは何を考えているかなんて他人には伝わらないのです。無意識的に出てしまう表情・しぐさ・つぶやきといったもので感情などはそれなりに伝わるでしょうが、その感情がどんな文脈から生じたかまでを正確に伝えることはできません。

自らの意思で表現しない限り、他人に伝わることはありません。都合良く人間の脳内をハッキングして思考を漏えいさせてくれる仕組みなんてものは存在しないのです。

にもかかわらず、時に思いが強いとそれが相手にも伝わるのではないかと無意識的に勘違いするきらいがあるようです。それが、冒頭の「なぜ、察してくれないのか?」に繋がるのです。自分はこんなにも強い考えを持っているのに他人は微塵もそれを理解してくれない、という憤りです。

7つの習慣のひとつ「理解してから理解される」は確かにその通りなのですが、自分の主張を伝えない(開示しない)限り、たとえ相手のことを理解しても、自分の考えが理解されることはありません。

他人に対して明確な要求がある場合はもちろんですが、そうでない場合においても自分を理解して欲しいならば自己開示を行っておく必要があります。幸いにも現代は、自分の考えを言語などの表現に落とし込むという能力があれば、自己開示を簡単に行える道具がそろっています。

よって、自分を理解して欲しいならばちゃんと自己開示をしておくべきでしょう。

無論、開示しすぎて炎上させてしまうのは考えものですが…。

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