好きで没頭できる仕事ならホワイトカラーエグゼンプションでも平気?

ほぼエッセイ

しばらく前から「ホワイトカラーエグゼンプション」なるものが検討されていましたが、ぼちぼち本当に導入されそうになってきました。年収1075万円以上で対象となった職種は、労働時間規制から外すという方向で検討がすすんでいるようです。いわゆる「残業代ゼロ制度」です。

年収要件や職種要件があるので、直近で多くの労働者に影響が出ることはないでしょうが、これが拡大されていくと際限なき(実質的)サービス残業が行われるのではないか?と労働者側は反発しています。

この制度の真のもくろみと実態がどうなるかはさておき、労働時間によって収入が決まるという従来のパラダイムはこれらの時代には適合しなくなる可能性は高いでしょう。すでにクリエイティブな仕事をしている人々は労働時間というよりは提供した価値によって報酬が決まっています。

コンピュータは日々進化していますから、クリエイティビティを必要としない仕事はどんどん機械化が進む可能性は高いでしょう。となると、一部の機械化できない非クリエイティブな職業と、コンピュータが行えないクリエイティブな職業の二極化が進むことになります。

前者については労働時間によって成果がある程度きまるので、労働時間で収入を決めることに妥当性があります。一方で後者の方は会社に何時間いたから成果があがるというわけではありませんし、そもそも労働時間という概念すらないかもしれません。

クリエイティブな職業というのはある意味ではアイディア勝負の部分があります。そして、このアイディアというのは投入した時間に単純比例して数やクオリティが決まるわけでもなければ、9時から17時の間にだけ出てくるものでもありません。

仮に時間で区切る規制があったとしても、その仕事を好きでやっている人は寝ても覚めてもそのことばかり考えています。そこまで没頭没入している人と、仕事だからと淡々とやっている人では、投入した時間に必ずしも比例しないとはいえ、差が付くであろうことは容易に想像できます。

提供価値で報酬が決まるのであれば、いくら時間で規制したところで実質的な意味はなさないのかもしれません。結局のところ、労働時間で縛り、かつそれが緩和されることに強い拒否反応を示すというのは、本質的に「労働(仕事)とは出来ればやりたくないもの」という考え方存在するからなのかもしれません。

好きで没頭没入できることを仕事にしたいものですね。

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