何かをやめるときは余剰リソースの振り向け先を決めておけ。

ほぼエッセイ

世を見渡すと、何か新しいことを行うときに何かを行わないことを決める事例は少ないようです。政治家の公約でも社長の年頭挨拶でも「○○に力をいれます」とは言っても、「そのかわり××はやりません」というのは聞いたことがありません。

しかし、特に時間というリソースが有限である以上、新しいことを始めたらリソースが足りなくなります。もし、足りるのだとしたらそれまでリソースに余剰があったということです。よって、それまでもリソースをしっかりと活用していたのなら、新しいことを始めるには何かをやめなければムリということです。

何かを始めることと、何かをやめることは同時であることに意味があります。特に個人の場合は、先にやめることを決めるだけでもダメなのです。

悪い習慣をやめることに挑戦したものの、そこに別な悪い習慣が入ってしまっては意味がないのです。ありがちなのが、テレビをだらだら見るのをやめるためにテレビを捨てたが、なんとなく時間を持て余してyoutubeとニコ動を見る習慣がついてしまった、というものです。

なにかをやめて余剰リソースが発生しても、そのリソースの振り向け先が決まっていないと、人は易きに流れるものなのです。そのあたりを考慮すると、リソースが足りなくなったときに何を捨てるかをあらかじめ決めたうえで、新しくやりたいことをさっさと始めてしまい、リソースが足りなくなったところでそれらを捨てていく、というのが理想なのかもしれません。

捨てるにしても戦略が必要ですね。これが「体系的廃棄」ということでしょうか。

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