アナロジーで伝えられること、伝えられないこと。

ほぼエッセイ

過去を思い返すに、この人は頭がいいなぁと思う人はほぼ例外なくたとえ話がうまいです。比喩、アナロジーの使い方が上手いと言ってもいいでしょう。

たとえ話あるいは比喩というのは、ある事柄を説明したいときによく似た特色を見た別の事柄を使って説明することです。つまり両者の共通部分を見つける能力が必要であり、これがすなわち抽象思考です。そう考えると頭がキレる人(=抽象思考に優れた人)がたとえ話がうまいのも納得です。

さて、比喩というのが二つの異なる事柄の共通した部分を使っているのだとしたら、二つの事柄の間には共通しない部分もあるはずです。もちろん、見た目が違うのに実は「まったく同じ」という事例もないわけではありません。

誰しも数学の方程式を中学校で解いた経験があるでしょう。この方程式を解くという作業は、同値変形の繰り返しです。複雑な式から始まって、最後に(例えば)「x=5」となるところまでに現れる方程式は、すべてxが5であるという同じことを意味しています。もう少し数学一般に話をひろげるならば、全ての要素が一対一対応する全単射が成立すれば、「まったく同じ」といえます。

とはいえ、複雑きわまりない世の中にあって、見た目が違うだけで内実はすべて一対一対応しているなどという都合のいいケースはほぼ皆無です。多かれ少なかれ、二つの事柄の間には違いがでるということです。それは、アナロジーを使った場合には共通している部分は伝えられるけれども、共通していない部分は伝えられないということです。

たとえ話やアナロジーというのは、自分とバックグラウンドが違う人に物事を伝えるときに強力な手段ではありますが、限界はあるということです。大枠としては伝えられるが、細部については違う部分もある。あるいは、ある側面から見たら同じように見えるが、別な側面から見たら実は違う。そういうことがある、とは認識しておくべきです。

逆に受け手側は、たとえ話で何かを説明されたならば、大体のイメージは理解できているが正確な理解ではないと心得るべきでしょう。

細部まで理解したければちゃんと学ぶしかないのです…。

タイトルとURLをコピーしました