まずはルールを知らないことには。

ほぼエッセイ

日常生活には契約書とか規約とかがたくさんあるはずなのですが、それをまともに読む人はほとんどいないようです。そもそも分かりやすい場所にそれが置いてあるとも限りません。

例えば、多くの人が日々乗っているであろう電車だって、JRなら旅客営業規則が存在しています。電車に乗るということはこれに則って契約をしているわけです。

普段は料金表にしたがって運賃を払い、あるいは今ならIC乗車券で自動的に運賃がひかれることで電車に乗るわけで、規則をしらなくとも特段の影響はありません。しかし、

これが少しイレギュラーな状況になると話が変わります。事故などで不通区間が発生した場合にどのような代替措置がとられるのか? キャンセルや変更をしたくなったときにどう処理されるのか? こういったことは規則に書いてあり、それに基づいて処理されます。

こういったときに、自分の希望する(利益となる)選択肢を選べるかどうかは規則をしっているかにかかってきます。

などと書くと、少々反感を感じる方もいるのかもしれません。しかし、スポーツではどうでしょう?

どんなスポーツにもルールがあり、それに則ってプレーが行われます。ルールを知らずにプレーをする事は出来ませんし、知らなければ勝つことができません。時にあまり知られていないルールにより勝ち負けが決することもあり物議を醸すわけですが、試合に臨んだ以上は、ルールに従わねばなりません。ルールによって自分に有利なこと(=得点など)も獲得しているのですから。

旅客営業規則の話は法的な効力があり、スポーツのルールはそういうものではない、という考え方もあるやもしれません。しかし、我々が生きていく中での規律という意味では、少なくとも非法律家たる一般人にはそう違いはないでしょう。

規約やルールというと、なにやら制約の面に目が行きがちですが、自分にとって有利なことも不利なこともその中で決まります。したがって、自分が有利になるというだけでなく、不本意な形で不利益を被らないようにもルールは知っておくべきなのです。

自分がどんなルールの中で生きているのか、それはどんなルールなのか、それを知らないことには始まらないのです。

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