学びたければ教わる側より教える側にまわろう。

思考

社内の同期向けに勉強会を行おうと準備をしているところなのですが、教える側にもかかわらず今さら色々と勉強しています…。基本的には自分がすでに持っている知識をシェアするだけの勉強会なのですが、レジュメでも作ろうかと思うと案外大変なことに気づかされます。

すでに出来ているからといって、即それを教えることが出来るかというとさにあらず。自分のやっていることを他人に伝えるには言語化する必要がありますが、すでに出来ていることが必ずしも自分の中で言語化出来ているとは限りません。

スポーツなどは特にそうで、自分の体の動きは逐一言語化しているわけではないので、自分が上手くプレーできることと教えるのが上手いことは別なわけです。

教えようとすると、出来ているつもりで出来ていない部分があったり、抜け漏れがあったり、実は合理的理由がなくやっていることがあったりと、「なぜ?」と問われた時に答えられない部分の存在に気づかされます。それゆえ、出来る人以上に教える人は深く広範な理解が必要なのです。

たいていの人は何かを学ぼうというときに教えを請うために学校へ通ったりセミナーに行ったり、師匠に弟子入りしたりします。もちろん、それ自体は至極まっとうな考え方に違いありません。

しかし、どうせ教わるなら「出来る」レベルを目指すのではなく「教えられる」レベルを目指すほうがより深い理解を得ることができます。そのためには教えてもらうフェーズをさっさと終わらせて、人に教える側にまわってしまうのもひとつの手です。教える側に回ってしまえば、理解を深めざるを得なくなるので、ある意味では勝手に理解が深まります。

もちろん教えるのに資格が必要な場合はこの限りではありませんが…。

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