インターネット前夜においては博識であればそれだけで価値がありました。他人が知らないことを知っているというのがアドバンテージになったからです。「歩く辞書」は貴重な存在だったわけですが、ネットとスマホにより「歩いている人みんなに辞書」状態になってしまいました。
インターネットの普及で、ググれば情報は手に入るという時代に変わりました。たいていのことはWikipedia先生が教えてくれますし、あとはGoogle先生が広大なネット空間上から適切な情報を持ってきてくれます。というわけで、誰でも博識になれる時代となり、博識だけではアドバンテージにならなくなってしまったのです。
そんなわけで、ここ十年くらいは「調べれば分かる」という状態が続いていたのですが、ここに来て少し変化があるような気もします。「調べてもないのに情報が押し寄せてくる」状態になりつつあるのではないかと。
SNSアカウントを開けば、そこには日々大量の情報がなだれ込んできます。その中には質の低い情報や自分にはあまり価値のない情報もありますし、果てはデマの類いまで流れる始末です。ここ最近はいわゆるバイラルメディアが拡散させる「衝撃的だけど、特に価値のない情報」なんていうのもあったりして、混沌としている感があります。
そうなると、もはや集める能力すら必要なくて、いかにして取捨選択するかという問題になります。収集よりも廃棄の方が優先度が高くなるのです。
などというと捨てる能力というのが重要になったのはごく最近のようにも見えますが、
もはや成果を上げられなくなったものや、貢献できなくなったものに投入している資源を引き揚げること
が重要であることは、もうだいぶ前にドラッカーの著作には書かれているのです。
ITの時代だからといって、特に何かが変わるということはないようです。