問題は時間ではなくて吸収率。

ほぼエッセイ

学生時代のあるある光景として、テスト前に「全然勉強してないわぁ」などと言っている人に限って、かなり勉強しているというのがあります。あるいは、「いやぁ、徹夜したわ」などと徹夜自慢な人もいたりします。

かたや勉強してないと言い、かたや勉強してると言っているのですが、ある意味ではどっちもどっちなのです。時間軸という基準においては両者には大きな違いがあるのですが、問題はアウトプットがどうなるかです。この場合で言えばテストで何点とれるかです。

そう考えたときに、時間としてどれだけ勉強したかはそれほど大きな意味は持ちません。もちろん、ある程度は投下した時間に比例して成績は伸びるでしょうが、時間をかけても吸収されていなかったら意味がないのです。

やらされ感が満載だった勉強や、会社に行けと言われたから行った研修の内容をどれだけ覚えているでしょうか?ほとんど覚えていないのではないかと思います。必要性を感じていないのに学んでもほとんど吸収しないということです。

どうしても必要だと思えば自発的に学ぶものですし、その時には貪欲に吸収しようとします。そしてすぐに実践に移します。そうするとその学びはより深く身体に刻まれるわけです。いわゆる血肉になる学びというのはそういった所から起こることがほどでしょう。

色々と知っているに越したことはないですが、その気もないのに学んだところで時間とお金の浪費になるだけです。興味の持てる、自発的に学びたいと思うことにこそリソースを投下すべきでしょうね。

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