自分の人生を生き、コントロール感を持てているか?

思考

夜の居酒屋で見られる一つの光景として、サラリーマンが会社や上司の愚痴を言い合う、なんていうものがあります。あるいは、ネット上の書き込みを見渡すと、会社に雇用されている現実に対してネガティブなものが目立ちます。

かといって、雇われているビジネスパーソンの全てがそうかというと違います。社員という立場でも活き活きと働いている人もいないではありません。また、雇用をする側(=経営者)ならポジティブかというと、おそらくこれも違うのでしょう。金策に負われる経営者が活き活きとしているとは想像できません。

雇われているか雇っているかが問題というよりは、何者かに自身のコントロール権を奪われているか否かが重要なポイントとなのでしょう。雇われの身であれば、会社の指揮命令権の配下に置かれるのは間違いありません。しかし、だからといって身の自由が奪われたわけではありません。

一定の制約がある中でいかに主体性を保持し続けられるかが重要であり、それが自己コントロール感の有無につながります。たとえ雇う側であっても同じことであり、何らかの要因により自由な意思決定を阻まれることで自己コントロール感を喪失することが、自己肯定感の低下に繋がると考えられます。

身に課された制約条件を所与の条件(=ゲームのルール)と捉え、その中でいかに戦っていくかを考えている人間は、主体的に活動しているのでしょう。この世の中を生き抜いていくにあたって、制約のないゲームは存在しません。自分で身を立てていくのであれば、働き方はどうあれ資本主義というゲームのルールは最低限適用されます。

戦うフィールドによって付加されるルールは変わってくるので、人によってルールの厳しさは違うかもしれません。しかし、それと自己コントロール感の有無はまた別の問題です。自己コントロール感はあくまで「感覚」なので、主観的なものであり客観的にどういうルールが適用されているかは関係ないのです。

そして今回もまた、「主体性を発揮する」という『7つの習慣』の一つ目の習慣が以下に重要であるかを思い知らされるのです、、。

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