覚えるために書く、から忘れるために書く、へ。

ほぼエッセイ

学生の頃や各種の資格試験の勉強をするときにノートをとる理由は、何かを覚えたいからです。頭の整理とか要点のまとめだとか使い方は色々でしょうが、最終的にはおぼえることが目標です。一方で、社会に出てからとるようになるメモ(ノート)というのはちょと趣が違います。

キレイに清書されたノートはともかくとして、雑多なメモになるほど覚えるという目的はほとんど消えます。例えば、「○○さんから電話ありました。折り返し、××に連絡くださいとのこと」なんていう伝言メモは、書いた本人はまったく覚える必要があります。というよりも、メモを残すことで伝言すべき内容は頭から消すことが出来ます。

スケジュール帳というのも同じことで、脳内でスケジュール管理出来るうちはいいのですが、件数が増えるとそうも行かなくなります。しかし、スケジュール帳にすべてを記入しておけば、スケジュールはそれを見れば確認出来るのでいちいち覚える必要がなくなります。VIPになればその管理すら秘書がやってくれるぐらいです。

そんなわけで、社会人が「書く」という場面では、覚えると言うよりはむしろ忘れてもいいように、もっと言えば忘れてしまいたいからというものが多々あります。脳のワーキングメモリの容量はとても小さく、また揮発性です。そんな貴重なメモリを雑多なことで使っていてはもったいないのです。こと知識労働者は脳こそが商売道具なのですから。

かくして、雑多な事柄というのは外部に記録することによりオフロードし、ワーキングメモリを有効活用することになるのです。これが忘れるために書く、ということです。

もちろん、自由自在に長期記憶をあやつることが出来るならば少し話は変わってきますが、、。

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