誰にでも得意・不得意というのはあるものです。今いる場所が自分の得意分野と重なる世界であれば幸せですが、そうでない場合にどこまで耐えるべきかは難しいところです。
どうも組織に属していると、能力を画一化させる圧力を感じる人が多いようです。弱みを克服させ、強みは特に伸ばすわけでもなく、皆に同じ研修を受けさせる。となれば、いわゆる金太郎飴を作るかのように同じような人々が量産されるのもむべなるかな、といったところです。
一方で、マネジメントの祖ともいわれるドラッカーは
マネジメントとは、人にかかわるものである。その機能は人が共同して成果をあげることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味にすることである。 (「新しい現実」 p.259)
と言っています。端的に言えば、人々の強み同士を組み合わせることによって弱みを補完してしまいましょう、ということです。
本来ならば、これを行えることこそが人間の集まりである組織もてる強みなはずなのですが、実際に行っている例をほとんど聞くことがありません。逆にいうと、それをやらないのはよほど組織力に余裕があるのか、単に戦い方を知らないだけのどちらかかもしれません。
例えば、ワールドカップのようなトップクラスの選手ばかりがあつまる世界で、選手の強みにフォーカスしない監督がどこにいるでしょうか。個々人の選手の強みを発揮させ、それらの総体であるチームが強くなるようマネジメントするのが監督の責務です。それが出来なければ、「一流選手の能力をムダにしている無能な監督」と叩かれるのは目に見ている話です。
もちろん、これはサッカーに限らずスポーツなら何でも同じことで、違和感を持つ人もすくないでしょう。しかし、それが一般社会の組織になった途端に常識ではなくなるのが不思議なところです。
「おれが監督だったらもっとうまくやれる」と居酒屋で毒づいている中堅サラリーマンが、会社で部下のマネジメントをうまくやっているのかというと、甚だあやしいところです。「自分には一流の部下を選ぶ権利がない」という向きもあるやもしれませんが、少なくとも個々人の強みにフォーカスしてそれなりの成果をあげる努力はできるでしょう。
他人の問題に気付くのは簡単でも、自分の問題に気付くのは難しいのかもしれませんね。