知識労働者は精神衛生をよく保つためには相応の経費を払ってもよいのでは?

ほぼエッセイ

誰にでも機嫌のいいときと悪いときはあります。感情の起伏に個人差はあれど、やはり負のエネルギーが大きくなる時はあるでしょう。それを多少のコストをかけてでも減らすことが知識労働者には必要ではないか?というお話です。

人間、生きていれば悲しいこともあれば、憤りを感じることもあるでしょう。そんなとき、肉体労働者であれば気分は悪いながらも身体を動かしたり、考えることをやめて作業に没頭したりすることも可能です。もちろん効率が落ちるとは思いますが、致命的なレベルにならずに済ますことができるでしょう。

一方で、知識労働者となるとなかなか厳しいものがあります。気分が悪いときにいいアイディアが浮かぶ可能性は極めて低いですし、客観的に冷静な判断を下すことも難しくなります。かといって考えることをやめてしまっては、知識労働者としての責務を果たせなくなります。

よって、脳がクリアな状態で活動できるように、精神の状態も保つ必要があるのが知識労働者の特徴といえましょう。そうなると、(肉体)労働者が自らの身体を健康に保つために運動したりリラクゼーションをするように、知識労働者は精神状態をよく保つために何某かのことをする必要があるのかもしれません。

何をするのが精神衛生上よいのかはこれまた個人差はあるでしょうが、自分にとって心地よい空間にいる時間を長くするために多少のお金を投じることも、そこには含まれるでしょう。

そのために、例えばグリーン車に乗ったり高級なホテルに泊まったとしても、それはある種の必要経費なのです。単に心地よくなって終わりではダメですが、そうすることによってよりクオリティの高いアウトプットを出せるなら、むしろ積極的に取り入れるべきでしょう。

成果をあげて世に貢献することが知識労働者の使命なのですから。

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