形あるモノは所詮有限。形ないモノの無限のリターンに目を向けよ。

ほぼエッセイ

「資産」といわれたら何を思い浮かべるでしょうか? 貯金・株式・不動産といったところが多いのではないでしょうか。これらはどれも可視化できるという点で「有形」です。

一方で、可視化はしにくいものの「価値」があるものとして、知識・信用・人脈といったものがあります。これらは「無形」ではありますが「価値」があるという点では「資産」といって差し支えないでしょう。

 

人間は外界の情報をほとんど視覚によって得ています。一説には8〜9割ともいわれています。それは、すなわち人間がいかに目に見えるものに左右されやすいかを意味しています。したがって、どうしても「有形」たるモノに重きをおいてしまうのです。

しかし、形あるものというのはいつか必ず朽ち果てます。身の回りにあるモノが老朽化するのはもちろんのこと、不動産の代表格である土地ですら、地殻変動が起こればなくなるやもしれないのです。金銭的なものも経済情勢が変化すればその価値が大きく変動するわけで、絶対的な存在ではないのです。つまり、基本的に「有形」なものは「有限」なのです。

 

一方で、「無形」であるものは、形がないゆえに劣化しません。一度得た情報や知識といったものは永久に自分のモノです。特に抽象的なものほど時間の経過に強く、鮮度が落ちるということがありません。今日のニュースは明日には古新聞ですが、地動説は永遠なのです。信用や人脈といったものも一度形成することが出来れば、不義理を行わない限り、永遠に有効です。これらが無に帰すときは、人間という有限の存在が死を迎えたときです。

そう考えると、視覚的に情報が入ってくる8〜9割のモノではなく、残りの1〜2割のモノにこそ本当の価値は宿っているのかもしれません。「無形」のモノはその永続性も価値の上限も「無限」である可能性が高いのです。

 

問題は、人間がこれらをうまく理解できないということです。「無形」も「無限」も目には見えないからです。目に見えないモノは抽象的概念として理解するしかありませんが、往々にして抽象概念の理解は難しいのです。

とするすと、この抽象概念の理解力を磨き上げることこそが、「無形」のモノに価値を見いだし、「無限」のリターンを得るために必要な行為なのかもしれません。

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