目に見えるモノはいずれ滅ぶものだけど。

ほぼエッセイ

「資産」と聞いたらどんなものをイメージするでしょうか。多くの人は、お金とか家とか車とかそういったものが思い浮かぶのではなかろうかと思います。しかし、そういったものは意外と儚いものです。

なにをもって「資産」と呼ぶかは難しいところですが、生きるにおいて何らかの豊かさをもたらしてくれるもの、ということにして話をすすめます。

大別すると、資産には可視化しやすいのと可視化しにくいものがあると考えられます。家とか現金というのは目に見える資産です。一方で、知識とか人脈といったものは目に見えない資産です。少なくとも金銭換算が難しい資産です。

「物欲」ということばが有るように人間は「モノ」を欲しがる生き物です。それもたいていの場合は目に見えるモノをほしがります。家・車・宝飾品・電化製品などなど、、。しかし、形があるものはいずれ滅びる運命にあります。

とするならば、形あるものにお金や時間というリソースを投下して形ある資産を増やすことはどれほどの意味があるのでしょうか。多少なりとも形ある資産がないと生活出来ないので最低限度のレベルでは必要ですが、ある一定量を超えたらもはや意味がないかもしれません。

それよりは、知識や経験だったり、友人や仲間といった形のない資産を増やすことにリソースを投下した方がより豊かな生活を送ることが出来るかもしれません。こういった資産は、不義理をしない限りは、逓増していく性質を持っています。

将来への不安から蓄財に励む人は多いですが、どれだけ貯めても不安は尽きないように思います。むしろ貯まるほどにそれを失う不安が増大するのではないでしょうか。満たされるほどに不安になるというのは、何か皮肉めいたものを感じます。

現代の日本は物質的には満たされているはずなのに、精神的に満たされていないように見える人が多いのは、無形の資産が少ないことが一つの要因かもしれませんね。

 

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