分かったと思っているなら、たぶん分かっていないのだと思うべし。

ほぼエッセイ

何かを学べば、「分かった」と思う瞬間がでてきます。あるいは、ほとんど無意識のうちに「分かった」と思い込んでいる事柄もあるでしょう。しかし、「分かった」と思っても、本当にそうなのかは疑ってみる必要があるでしょう。

例えば、自動車教習所に行けば学科教習で車の運転について机上で習います。習わなくとも、アクセルを踏めば加速し、ブレーキを踏めば減速する、ハンドルを回せば車は曲がる、ぐらいのことは多くの人が知っています。

しかし、技能教習で実車を運転すればその理解がいかに浅はかだったかを知るわけです。うまく曲がるのは難しいし、加速や減速の加減にも慣れるまでは戸惑います。学科教習で「分かった」と思っていたことは、本当は「分かっていなかった」のです。

もちろん、これは何も自動車の運転に限ったことでもありませんし、単に机上の勉強と体得の違いというわけでもありません。学べば学ぶほど新たな疑問が発生し、学ぶべき量はむしろ増える一方ということは往々にして起こります。場合によってはパラダイムシフトが発生してまったく違う世界観が誕生することもあります。

したがって、「分かった」と思って安穏としているなら、むしろ注意すべき状態かもしれません。それは実は「分かっていない」か、分かっているのだとしもて次のパラダイムまでの束の間の休息かもしれません。

そんな簡単に「分かった」といえるほど、この世は単純ではないと思う方が妥当でしょう。

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