一日の半分以上をおしゃべりに費やす知識労働者なんてどう?

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人類史上最後の労働集約型産業といわれることもある業界で働く筆者が、なぜか労働集約とは正反対の知識労働者に憧れ、そして目指しております笑。

 

知識労働者といってもいろいろと働き方があるとは思うので、どういう知識労働者になるかは考えどころ。先日紹介したノマドワーカーとかも知識労働者の一形態でしょう。

インプットを脳みそコネコネしてなにかしらのアウトプットだして価値貢献するっていうのが理想的なんですが、それだとあまりに抽象的すぎるので…。

最近考えているのは、なんか一日中ふらふらしていろいろな人とおしゃべりしてるんだけど、なぜかその後には結構価値あるモノが生まれるっていう事象を引き起こしてしまう人間になること。移動するコンサル兼アドバイザー的な感じでしょうか。

まー、でもそんな働き方をしたら「あいつは遊んでばかりで仕事しない奴だな」と思われて給料下がるんでしょうね。難しいところです。

しかし、知識労働者の価値は、直接・間接を問わず生み出した価値に比例すべきなので、触媒的な要素が強かったとしても、キーとなる概念やアイディアを生み出したりあるいはそれを補助するだけでもいいと思うのです。価値を生み出せれば報酬、出せなければ無報酬。いわば、オールオアナッシングな世界。

 

工場労働者が減るにつれて総中流ではなくなり、知識労働者が増えるにつれて格差問題が顕在化する。それは、知識労働者というものがオールオアナッシングな世界で生きざるを得ないことと関係するのではないでしょうか。中間層になるということは、中途半端な価値を出力し続けるということですが、それを恒常的にやるのはむしろ難しいと思うので。

もし、一億層中流な世界にこの国が戻りたいのなら、知識労働者を排除しないといけないですね笑。

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