ロジカルに考えたら勝手に視野広がるよ?

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世間でロジカルに考えることがなぜ推奨されているのかを、筆者の視点で論じます。

 

筆者はときどき、「よくそこまで知ってるね」とか「そこまでは思いつかなかったわ」とコメントを頂くことがあります。お褒めいただくことはうれしいのですが、実のところ、別に何でも知っているわけでもなければ、発想力が人より優れているわけではないのです。

やっていることは、単に論理的整合性を求めているだけです。

ある出来事が起こったとき、「なぜそうなるのか?」、「どういう場合にそうなることが多いのか?」、「その後にはどうなることが多いのか?」といったことは、ロジカルに考えればある程度の蓋然性をもって予測することが出来ます。

例えば、企業において経営者は何を重視するのか?中間管理職は何を重視するのか?末端の社員は何を重視するのか?はそれぞれ違いますが、役職によって役割がある以上、概ね目指すべき方向性はその人の肩書きで決まります。もちろん、そこに個人の価値観や感情というものが混じるので変動はあります。しかし、それらすべてに対して仮定を設定すれば、そこからはロジカルに妥当な推論をすすめていけばよいわけです。仮定が間違っていた場合は、その仮定を置き換えた推論をすればいいので、Aという仮定が成立するときの帰結と、Bという仮定が成立するときの帰結はそれぞれ別個に導くことが出来ます。

推論自体の妥当性に問題が無ければ、あとはどの仮定が正しいかを確率としてさらに仮定してやれば、結論のおおよその正しさも見積もることが出来ます。

したがって、ロジカルに考えると、実際には自分が見ていないことに対しても相当程度の確度をもって推測できるようになるのです。もちろん、不確定要素は排除しきれないので100%の正確さはありませんが、当てずっぽうではないので相応には当たるのです。

故に、知りもしないことをさも知っているかのように語ることが出来てしまうというわけです。

 

ところが、ロジカルに考える人間というのは「理屈っぽい」とか「理詰めで怖い」とか言われて時に嫌われるのでやり過ぎには要注意。

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