安易なBYODは労働者にとっても諸刃?

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スマートフォンとタブレットの急速な普及でBYODというワードがIT業界ではホットになりつつあります。BYODという単語を知らずとも、自分のスマホやタブレットを仕事で使えたらいいのに、と考える人は増えていることでしょう。しかしBYODは働く側にとっても諸刃だと思うのです。

そもそも企業、つまり労働者やその他リソースを管理する側からするとBYODというのは結構やっかいな問題です。BYODによる企業側の目に見えやすいメリットして、デバイスの費用負担は個人なのでコストが節減できるというものが取り上げられます。しかし、セキュリティ対策や情報漏えい対策のツールを導入したりとレベルの差はあれ管理は必要になるでしょう。そうなると個々人で持っているデバイスが違うというのは頭の痛い問題です。あるいは、社内システムなどを何種類もの端末で動作保証しようとなれば、端末代金分など吹っ飛んでしまうでしょう。

さて、そのようなことを企業側が解決したとして働く側にはどれほどのメリットがあるでしょうか。

メリットを享受できるのは、先進的かつ仕事に前向きな一部の労働者だけに思えます。個人のデバイスを仕事に使うということは、仕事とプライベートの境界があいまいになるということです。「いつでも、どこでも」仕事ができるということは、裏を返せば「いつでも、どこでも」仕事をしなければならない、ということでもあります。もちろん、オンとオフを自分で切り替えるという選択肢はあります。しかし、オンもオフもなく、仕事とプライベートをシームレスに生きて成果をあげていく人もでてくるでしょう。もちろん、それはある意味ではBYODの目指すところではあります。したがってそういう人はBYODの恩恵をしっかり受けることができます。一方で、そうでない人はBYODを活用している人と成果に差が付くかもしれません。

つまりBYODは個の力を引き出す一方で、格差を生み出す可能性があります。もともと個人主義・能力主義な企業ならいざ知らず、年功序列の残る日本の企業において働く側の意識はそこについていけるでしょうか。格差が存在することが良い・悪いではなく、そうなる可能性まで考えて労働者はBYODを希望しているのか、あるいは希望するのか、という疑念です。

BYODは実現されたけど、労働者は結構しんどいことになっていた、などとならなければいいですが。

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