知識労働者として生きていくのも結構大変。

思考

20世紀までは、労働力を切り売りして生活の糧を得るのが資本主義における労働者の姿だったはずです。それが近年では少し変容して、単なる(肉体的)労働力の提供から、知識を提供するという知識労働者が生まれています。

知識労働者の定義等々は今回は棚上げしまして、いままでの(肉体的)労働者とは資本家に提供しているモノが違うというところで、話を進めます。

肉体的な労働力を提供している旧来の労働者は、自らの肉体を使って労働力を生み出し、資本家に価値提供します。一方で知識労働者は自らの肉体というよりは、知識(=脳)を使って資本家に価値提供します。

なにが言いたいかというと、旧来の労働者と知識労働者では価値提供をするのに必要なリソースが違うので、そのメンテナンスの考え方も自ずから違うのではないかということです。

旧来の労働者は自らの肉体が価値を生み出す源なので、いかに肉体を健康な状態に保つかが重要です。なぜなら健康な肉体なくしては労働力という価値が提供できなくなるからです。

一方で知識労働者は自らの脳を主たるリソースとして価値提供を行います。したがって、良質なアウトプットを出せるようにいかに脳をクリアな状態においておくかに注意を払う必要があります。さらに、アウトプットし続けるにはインプットもし続ける必要があります。日々の学びを怠ることはアウトプットの劣化や枯渇を招きかねませんから、知識労働者として生きていく限り学び続けることが必要です。

そう考えると、知識労働者は脳をクリアな状態に保つために休息をとるというメンテナンスの他にも、日々学び続けるという活動も余暇の中に組み込んでおく必要があります。それは旧来の労働者に比べて知識労働者の方が労働力を再生産するために必要なコストは大きいことになります。

この部分だけを考えても知識労働者という働き方は大変だということですね…。

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