相応の扱いを受けたくば、相応の品格を持つ必要がある?

ほぼエッセイ

何かの機会でお値段のはるサービスを利用したり、ちょっと高級なお店に行ったりすると、筆者のような庶民はその空間の違いに戸惑ったりします。単にサービスのクオリティが高いとか、設備が良いとかいう以上に、空間が質的に違うのです。

高級食材を使った料理店であるとか、希少価値の高い品々を扱ったお店ならば、そこで提供されるモノ自体に価値がありますし、それが価格に転嫁されるのは当然です。

一方で、例えば高級ホテルだとかファーストクラス/グリーン車のように主たるサービスに付随する部分のクオリティを上げたものも存在します。ホテルならば一夜を明かせることが重要なサービスであり、快眠できることをウリにしたビジネスホテルも各種あります。飛行機でも電車でも移動が目的の大前提で、ランクアップしたときについてくるのはそこでの快適さです。

おそらく、この空間の違いそのものも高級なサービスの価値の一つでしょう。サービスの提供期間中をいかに快適にすごすかという点は、以前のエントリ(知識労働者は精神衛生をよく保つためには相応の経費を払ってもよいのでは?)に通ずるものがあります。高度な知識労働をする人にはそういった空間も必要でしょう。

ではそのようなサービスはお金さえ払えば提供される性質のものなのでしょうか?

おそらくは単にお金を持っているだけでなく、その場の上質さにふさわしい品格を持ち合わせていないとダメなのではないでしょうか。高級店といえど人間がサービス提供を行うのですから、時に粗相もあるでしょう。客であってもそこで声を荒げるのはやはり見苦しいものです。周囲のお客さんや店員さんの気分を悪くすることはあっても、よくすることはありません。何より空間の質を劣化させます。

したがって、相応レベルのサービスを利用するのであれば、たとえお金を払う客側の立場であっても相応の振る舞いが必要でしょう。利用する側にも品格が求められるというわけです。

もしかすると、筆者のような庶民がそういう空間にある種の居心地の悪さを感じるのは、相応の品格が備わっていないからなのかもしれません、、、。

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