場合によっては、客観よりも主観重視で構わない。

人生

世の中的には論理的とか客観的に物事をみる能力が重宝される昨今ですが、今回はあえて感覚的・主観的に取り組む良さについて考えてみます。

全体を妥当性のある形で捉えるとか、再現性を確立するために理論化する際には、論理的・客観的な視点というのは欠かせないでしょう。一方で、自分自身が主体となってなにかに取り組むときは必ずしもそうではありません。なぜなら人間は主観的な生き物だからです。

例えば、体調が良い/悪い、頭が冴えている/曇っている、というのは感覚的なもんだいであり、非常に主観的です。体温という客観指標をもってきたとしても、当人の感覚がそれとリンクするとは限りません。熱があるといわれる状況であっても、当人は意外と元気だったりすることもあります。

客観的には「難しいだろう…」と思われる状況であったとしても、主観的に「絶対に出来る」と捉えていれば、まんざら不可能ではなくなるやもしれません。逆に、客観的には「たぶん出来るだろう」と思われる状況も、主観的に「もうムリだわ」と思ってしまったら、おそらく出来なくなってしまうでしょう。

実行する主体自身がどう考えているか、つまり主観がどうなっているかが現実にはかなり重要なのです。実行する主体においては主観が客観に先立つからです。

というわけで、物事の全体を捉えて抽象化する場面ならば客観的に論理的に考える必要がありますが、何かを主体的に実行する場面では主観全開でも良いのかもしれません。。

タイトルとURLをコピーしました