お金よりも「何によって憶えられたいか?」

人生

■現代の日本は
 資本主義経済に組み込まれているので、

 完全自給自足な生活でもない限りは
 「お金」の問題から逃れていくことは出来ません。

 武士は食わねど高楊枝 は
 現実的には難しい話です。

 とはいえ、お金の多寡が
 幸せを決めるわけではないのが難しいところです。


■よく、

 「日本人はお金の話を
  おおっぴらにすることをタブー視する」

 などといわれますが、

 これは日本人がお金に対して無頓着なわけではなく、
 むしろ相当の執着があることの裏返しな気がします。

 ややもすると、
 お金に囚われすぎているのかもしれません。


■しかし、多くの場合、
 お金に執着していても幸せが訪れることはないので、

 どこかで一旦は、
 この問題には見切りをつける必要があるでしょう。

 具体的には、
 食うに困らないレベルになったところで、です。

 そうなると、
 唯一貴重なリソースが「時間」に変わります。


■人間は人生という時間の流れを生きているのですから、

 より本質的には時間をどう使うかが
 人生の最大関心事となって然るべきでしょう。

 どのような時間を過ごしたかが成果を決め、
 また、じぶん自身の人生に対する満足感を決めるのです。


■もちろん、自分にとって「よい」時間を過ごすために
 様々な事に打ち込んで成果をあげた結果として、

 食うに困らないレベル以上のお金が稼げることは
 十分に考えられます。

 とはいえ、それは後から付いてくることであって、
 それを真の目的としてしまうと、

 達成したとしても何らかの空虚感が
 残るような気がします。


■世の中に対してどれだけの貢献、価値提供を
 できるかを一つの指標とするのが、

(個人的には)
「よい」人生を生きる上では重要な気がします。

 おそらく、それは「何によって憶えられたいか?」
 という問いになるのでしょうが…。


今日の【まとめ】

■資本主義で生きる以上はお金から逃れられない
■とはいえ、食うに困らないレベルになったら
 「時間」のほうがより重要
■つまるところ「何によって憶えられたいか?」
 に帰着する

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