「ゾーン」に入れる領域を探すことが、知識労働者の第一歩。

ほぼエッセイ

スポーツの世界などでは非常に集中した状態になることを「ゾーンに入る」と行ったりするようです。感覚が研ぎ澄まされ、完全にのめり込むような状態で、心理学ではフローと呼ばれる状態です。この感覚はスポーツのみならず、むしろ知識労働者にも求められるのではないか、というお話です。

産業資本の時代における主たる労働者はいわゆるブルーカラーでした。これに類する労働者の特徴は単位時間あたりの生産性という観点では、概ね皆一緒になるという点です。8時間作業を行ったときの成果が人によってばらつきがあったとしても、おそらくそれは正規分布するはずであり、その標準偏差もそう大きくはないという世界です。

これが、知識資本の時代になるとがらっと変わります。生産性は人によって大きく変わります。より正確には、その人の適性にあった場面においては標準を大きく上回る成果をあげるのです。逆に、適性のない場面においては同一人物でも標準を大きく下回る成果しかあげられないこともあり得ます。そして、おそらくこの成果の分布は正規分布にはならないでしょう。

知識労働者のパフォーマンスがピークとなるとき、おそらく「ゾーンに入っている」のではないでしょうか。ゆえに、驚異的な集中力をもって、標準を大きく上回る成果を短時間であげることが可能になるのではないかと。

逆に考えると、「ゾーンに入れる」ような(知識)労働をしているかが重要なのかもしれません。得意であり好きなことであれば、「ゾーンに入る」こともそう難しくはないでしょうが、好きでもなければ、得意でもないことで「ゾーンに入る」のは簡単とは思えません。

むしろ、知識資本の時代においては、「ゾーンに入りやすい」ことで世の中に貢献することを考えるべきなのかもしれません。寝ても覚めてもそのことを考えていて頻繁に「ゾーンに入る」人間と、仕事だからと嫌々ながらも一日8時間だけそのことを考える人間に同じ成果がでるはずはありません。おそらく、その差は途方もない大きさになることでしょう。

であるならば、自らの得意とする領域を探し、そこで「ゾーンに入る」こと目指す方が、自分にとっても世の中にとっても望ましいことではないでしょうか。

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