リスクのない世界なんて存在しないのに幻想をみる人々。

ほぼエッセイ

投資の入門書などをひもとくと「リスクとは結果の不果実性」などと書いてあります。具体的には、リターン(収益)の振れ幅のことを指しています。

また、投資の世界は「ノーフリーランチ(タダ飯はない)」なので、リスクのないところにリターンはありません。

この二つをあわせて考えると、多くの人が安全だと思っている銀行預金もそうではないことが分かります。銀行にお金を預けていると(現在は微々たるとはいえ)金利がつきます。つまりリターンが存在します。であるならば、どこかにリスクがあるのです。大まかに言って、銀行破綻のリスクとインフレリスクが存在します。不確実性は小さいものの、(実質的な)元本毀損の可能性が存在するというわけです。

さて、この考え方を人生に転用するとどうなるでしょうか?

勉強をしていい大学に入り大企業に就職する、これまでの価値観ではもっとも手堅いと言われてきたキャリアです。それは、言い換えるとリスクが小さいということです。大企業に入ればそこそこの収入は期待できます。一方で、大半の人はよくて部課長どまり。運良く役員になったとして、外資企業のように数億の年収になるわけではありません。つまり、下振れもしにくいかわりに、そうそう上振れもしないというわけです。確かにリスクは小さなキャリアです。

とはいえ、それはこれまでのお話で、大規模な企業買収やリストラが半ば日常であるグローバル社会ではリスクが小さいとは言えなくなりつつあります。待遇が下がるダウンサイドリスクはむしろ大きくなっているように感じられます。

リスクなき世の王道と考えられるようなキャリアでも、実のところリスクは十分にあるというわけです。

そもそも、人生において確実なのは「いずれ死ぬ」ことぐらいです。それ以外のことはすべて不確実性の中にあります。その意味では、リスクのない人生を求めることがそもそもの間違いなのでしょう。

リスクとどう付き合っていくかを考えるのがこれからの時代の生き方かもしれませんね。

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