物事を空間的にとらえることで客観的な視点を得る。

ほぼエッセイ

月が満ち欠けをするのは、月と太陽と人間の位置関係が変化するからです。いつでも人間は球である月をみています。半月の夜だからといって月は半球なのだと思う人はいません。

半月をみても月が球であると言える、それは目に見えているモノを見たままには解釈しないという行為が必要です。見たままに解釈すると月が日々形を変えているということになるでしょう。月と人間という二者の関係だけで説明をしようとするからです。そこに太陽という第三者が加わってはじめて、三者の位置関係によって形が変わるという説明がつきます。そこには、自分(人間)と月というものの見方ではなく、三者を空間で捉えるという行為が必要です。

それはある種の客観視をすることと言えます。

人はみな主観の世界で生きています。それはどれだけ分別のある人間になっても逃れられません。むしろ信ずるところがあるからこそ、主観的にならざるを得ません。ある信念にそって世界をみるとは、自らの信念という主観で世界をみることだからです。しかし、主観はときに人間を間違った方向へと導きます。太陽の動きだけをみて天動説を唱えてしまうように。

したがって、適切に客観視できることも重要です。自分と外界の関係を空間的に捉えて、視点を自在に動かす。そうすることで、まさに多角的に物事が見えるようになるのです。その結果得られるものは地動説のように直感とは異なるものかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました