「自分のことは自分が一番よく分かっている」?

ほぼエッセイ

ときどき「自分のことは自分が一番よく分かっている」というのが本当かどうかについて、論争が起こります。この議論は収束を見ないことも多いのですが、それもそのはずどちらも一面的には正しいからです。

というのもモノの見方には、「主観」と「客観」のふたつがあります。自分のことを最も「主観」で見ることが出来るのは自分以外にあり得ません。したがって、「主観」の世界においては「自分のことは自分がよく分かっている」といって正しいのです。

いっぽうで、「客観」という視点で自分を見ることは非常に難しくなります。どんなに自分を「客観」視しようとしても、自らの「主観」というフィルターを通してしか見ることが出来ないからです。したがって、「客観」という点でいえば周囲の方がその人の子をよく知っているといえるでしょう。

では「主観」と「客観」どちらの判断を採用するのがよいのか?というと、筆者は「主観」が先立つと考えます。なぜなら、人間は内的な動機によって動く動物でり、それは「主観」に他ならないからです。

確かに外発的動機で行動することもありますが、内発的動機とどちらが強力かといえば後者でしょう。仮にそうではなかったとして、どちらの動機で行動する方が自己の幸福感を得られるかを考えれば答えは明らかに思えます。

データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則」にも書かれていますが、人間の幸福は自らが主体的に活動したかどうかに大きく左右されます。とすれば、他者の動向に支配される人生は相対的に不幸なことでしょう。

主体的に活動すべき自分が持ちうるのは「主観」としての自己評価ですから、「客観」としての自分よりも、「主観」としての自分を優先させた方がおそらく幸福に生きられるのではないでしょうか。

もちろん、他者に迷惑をかけない範囲でですが。

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