コンテンツを「消費」する時代?

ほぼエッセイ

最近のバイラルメディアを見ていると、コンテンツを「消費」するという表現がぴったりだと感じます。価値あるコンテンツは消費されて無くなるようなものではないと思っているのですが、これにかんしてはまさしくその通りといったところ。

何をもってコンテンツとするかという詳細は棚上げしますが、例えば「人を動かす」とか「7つの習慣」、あるいはドラッカーの著作の数々を「消費」出来る人がどれほどいるでしょうか。どれも読むたびに新たな気づきがあり、内容も風化しません。それゆえ、一度読んで終わりということにはならず、ずっと手元に置いておく人がおおいのです。(書き込みしていて売れないという事情もあるかもしれませんが…

ひるがえって、近頃はやりのバイラルメディアが提供するコンテンツはどうでしょうか? 確かに、見た瞬間は驚きや笑いがあったり、感動するものが多いです。意外な事実を知れることも多々あります。しかし、それは一度体験し知ってしまうと二度目に新たな発見はほとんどないでしょう。永久保存しておきたいとも思わないはずです。おそらく、そこまでの奥深さのようなものがないのでしょう。

人生を豊かにするコンテンツという視点で考えたとき、一時の娯楽としては刹那的に「消費」するコンテンツもよいですが、なるべくなら「消費」できない(しきれない)コンテンツに時間を投入したいものです。一朝一夕では「消費」しきれるぬ奥深いコンテンツから気づきを引き出しまくり、終いには「消費」しきったという境地に立てるのが理想な気がします。

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