やっぱり運も実力のうち。

ほぼエッセイ

「運は実力のうち」か否か。人によって見解はわかれるところです。が、やはり実力のうちと考えるのが妥当ではないか、そう思っています。

運だけで何事かを成すのは確率的にはほとんど不可能です。なぜなら、人は毎分毎秒、判断を下しながら生きていて、その判断はその人の能力によって下されています。したがって能力がないにもかかわらず、適切な判断を繰り返していくのは丁半ばくちに勝ち続けるようなものです。

では、能力があり適切な判断を下すことができれば大きな成果をあげることができるのか?その答えもまた否でしょう。

なぜなら、人は外部環境からは逃れられないからです。人は社会に生かされているのであって、何人も社会を支配しているわけではありません。それゆえ、自分では制御できない不確実性を外部に抱え込むことになります。外部環境が確率的な世界だとするならば、唯一絶対の正解となる判断を下すことは不可能です。それが存在するとしても、まさに人知を越えたものであり、一個人が知りようがありません。

ここに「運」という概念が生まれます。外部環境が不確実性をもって変化するからこそ、運の善し悪しが生まれるのです。そしてその不確実性を自分の有利な方向へたぐりよせ、かつ適切な判断を下してこそ大きな成果をあげることが出来ます。どちらが欠けてもダメなのです。

成果をあげるために必要な要素に運も含まれるならば、やはり運も実力のうちと考える方が妥当ではないでしょうか。

おそらくこれは、実力をどう定義づけるかという問題でもあるのでしょうが…。

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