記憶は儚いものだから、思考を記録するためにblogを書く。

ほぼエッセイ

人間は忘却する生き物です。その上に記憶を無意識のうちに改ざんしてしまう生き物でもあります。つまり、記憶というのはほとんど当てにならないのです。

 

心理学者のエリザベス・ロフタスによると、記憶とは組み立てるものだそうです。それは自分で組み立てることもあれば、他人に組み立てられてしまうこともあるのです。実際に「誤った記憶」が裁判で証言され、えん罪が発生してもいるわけです。

記憶がかくも儚いものだとしたら、過去に考えていたこと、つまり思考の記憶はもっとあやふやで儚いに違いありません。思考とは源泉かけ流しの温泉のように湧いては流れていくものです。それを残しておこうと思ったならば、記録しておくほかありません。

もちろん、思考をどれほど正確に言語化できるかという問題もあるので、正確に記録することはできないでしょう。それでも、言語化しておかなければ時の流れに紛れてしまうことは間違いありません。

言語化して記録しておく方法が日記なのか、メモ書きなのか、blogなのか、形態は様々あるでしょう。日々の思考は莫大な量にのぼりますし、ほとんどは残しておく価値もなければ、後々に役に立つこともないでしょう。「これは」と思ったものを残しておけばそれで事足りるはずです。

そんなわけで、一日1エントリ書くことで、1日にひとつ分の思考の記録を残す努力をしているわけです。記憶は儚く消えてしまうものだから…

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