人間にダメージを「与える」には「奪え」ばいい。

ほぼエッセイ

久しぶりの更新です。

人間(の主に精神)にダメージを与える要素は数多ありますが、さてその中で最も強力な物はなんなのかな、などと思案してみたのです。たぶん、それは喪失感なのではないかと。そして、そこに精神力を投下した物ほど喪失したときのダメージは大きくなるはずだと。

以前にストレスを与える要素を相対的に指数化した研究者がいましたが、最も大きなストレスとなるのが「配偶者の死」であることは前述した観点からいっても相応でしょう。その表には結婚などポジティブに思えるものも載っていましたが、これもポジティブに見える出来事でもそれまでの生活やコミュニティを失うという点で喪失が生じます。それらが、精神的な不調の原因となるということは、新たに得るということよりも喪失するという体験のほうが人間心理には強く働くということでしょう。

これは、行動経済学のプロスペクト理論とも矛盾しません。ざっくりというと、人間はある金額の損失に対するダメージを相殺するにはそれ以上の利益がないと納得できないというものです。そう考えると、おそらくは損害保険というものに実際に満足する人はいないのかもしれません。合理的に考えれば、損失分が補填されれば問題ないはずですが、損失をより重んじる人間心理からすると同等金額の補填では納得できない、ということが現実には生じるはずです。しかし、周囲は「損失分が補填されたんだからいいだろ」という反応をするのが大方ではなないでしょうか。あるいは、多少プラスになると羨ましがるのでしょうが、当の本人はそれでは納得出来ていないはず。

ここに大きな断絶が生じるわけです。いくら数値化してみたところで、体験するまで人はその重みに気づかない。

つまり、何が言いたいかというと、喪失経験をした人に対して言葉をかけるときはよくよく考えるべきでしょうね、ということです。

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