24/365の功罪。[後編]

IT

24/365の功罪。[中編]からの続きです。

ITの提供側には運用SEという人間がいます。そして、その人たちは24時間いつでも携帯へメールや電話が来ればいそいそと会社へ向かうのです。

1990年代のまだ携帯電話が普及していなかった時代のドラマに次のようなシーンがあったと記憶しています。

「医者の男とその彼女がデート中に男のポケベルが鳴る。そして、医者である男は病院へと舞い戻る。」

2012年現在はポケベルが、携帯電話に変わっています。そして医者という単語をSEに、病院という単語を会社かデータセンターと置き換えればそのまま成立します。(なお、SEに彼女がいるとかいないとかいう話は棚上げです。)

医者に当直医があって交代制であるように、システムもオペレータというものがあってそれは確かに交代制です。しかし、患者に急変があれば担当医が呼ばれるように、システムもトラブルがあれば担当SEが呼ばれるのです。

昨今、勤務医が激務であり、なり手がいないという問題がよく取り沙汰されます。地方では数千万円の年収を提示しても応募がないとか。つまり、それだけの収入でもその働き方には見合わないと考える人が多いということです。

かたや、運用SEの年収はいかほどのものか。「運用SEは医者と違い人の命を守る存在ではない」という反論はありましょう。確かにその通りです。しかし、システムを守る存在ではあります。それが社会を支えるシステムであることもあります。

にもかかわらず、世の中のシステムは運用フェーズに入ると、システムを作った企業の関連会社や、システムを保有している企業の関連会社に運用が委託されるケースが多いです。平たく言えば、より人件費の安い会社に回すわけです。それは、運用SEの年収は少なくとも開発SEのそれよりも下回る可能性が高いことを意味します。

システムトラブルが発生したときに適切な判断を下してダウンタイムを最小限に食い止める行為は本来、非常に難しいはずです。難しいことが出来るということは、すなわち価値ある行為が出来るということ。

さらにいえば、トラブルの予兆をいち早くとらえ、トラブルを顕在化せずにシステムを稼働させ続ける運用SEはより貴重な存在なはずです。そのような運用SEを一流とするならば、トラブルが発生してから迅速な対応をする運用SEは二流です。

しかし、現実には運用において脚光を浴びるのは二流のSEです。そして、それすら開発SEに比べれば日の当たらぬ存在に過ぎません。「システムは安定稼働させて当たり前。止まったら怒られる」という世界で戦っている人々もいるのです。

SEというと、デスマ(デスマーチ)やバーストという単語が有名ですが、どちらも開発フェーズのお話です。もし、開発によるデスマーチが終わりの見える育児による苦労とするならば、運用SEの苦悩は終わりの見えない介護のようなものといえましょう。

そんな苦悩と戦いつつ、黙々と24時間365日システムを守り続ける一流の運用SEに幸あれと思わずにはいられません。

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