IT業界は最後の総中流楽園か?

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毎週聞いているポッドキャスト伊藤洋一のRound up world nowを聞いて考えたこと。

氏の先週のポッドキャストにて、なぜ日本が一億層中流から格差社会へ変貌したのかについて自説を述べていました。曰く、昔の日本やアメリカは工業国であり工場労働者が多かった。この業態は典型的な労働集約型産業なので、労働者が単位時間に生産する製品の数は同じである。したがって給与に差は付きにくく、労働時間に応じてみなほぼ等しく賃金をもらっていた。したがって中流層が多くなり、また格差も少なかったと。
しかし、知識労働社会に移れば労働者間の生産性の差は埋めがたく、賃金には必然的に差が付くことになる。したがって、賃金格差が生じるため格差社会へと突入せざるを得ない。とのこと。

さて、一方で日本のIT業界は間違いなく労働集約型産業にとどまっている。某大手企業の経営陣には、「IT業界は(いい意味での)人類最後の労働集約型産業だ」と主張した方もいるとの話。
と、するならば、IT業界は人類最後の総中流業界となる可能性を秘めているのでは?そしてそれは、格差のないある種の楽園?

しかし、これまでのところ総中流の楽園とはほど遠い世界が広がっている。
学生にはブラック業界と嫌われ、元請け・下請け・孫請け…と続く階層社会。そこに広がるのは「同一労働・不同一賃金」の格差社会。ただ、これはメーカーでも指摘されている構造であり、果たしてこの業界の特殊要因と言えるのか甚だ疑問。

導き出されている帰結に矛盾が生じているということは、前提である「工業国家→総中流社会」が実は成立していないと考えるのが論理学的な結論。
では、いったい一億層中流はなぜ生まれ、どのようにして消え、格差社会と呼ばれるようになったのか…?

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