2014-12

ほぼエッセイ

「主観」を大事にするもうひとつの理由。

先日のエントリ、「自分のことは自分が一番よく分かっている」?では、「主観」を「客観」に先立たせた方が幸せに生きられるのではないか?と結論づけました。今回は少し違う観点で理由を考えてみます。人間一人の持ちうる力など高がしれていますから、なにか...
ほぼエッセイ

風邪やインフルエンザで失われる実質可処分時間

冬になり風邪が流行る季節となりました。「手洗い・うがいをし、インフルエンザや風邪を予防しましょう」なんて言われますが、確かにその通りで、風邪を侮ることなかれです。インフルエンザならましていわんやです。なにもここで、風邪をこじらせると…などと...
思考

チャンスは準備している人にしか巡ってこない。

若干、釣り気味なタイトルですがこれは世の不平等を指しているのではありません。世の中がまったくもって公平平等などとはいいませんが、不平等に見えることが本当にそうなのかは一考の余地ありです。 多くの事柄において成長というのは指数的な増加をたどる...
ほぼエッセイ

人間は意外と欲望に対して無自覚?

人間というのは不思議なもので、欲望があることは自覚しつつもその欲望が具体的になにであるかを案外把握していなかったりします。いわゆる三大欲求はともかくとして、それよりも高次の欲求となるとかなりあやふやです。 食欲とて場合によってはあやしいもの...
思考

非同期型コミュニケーションの方が同期型よりも適している場合。

さて、前回の「論説文と二項対立。〜それは白にも黒にもなるもの〜」で宣言したとおり、「同期型と非同期型が選択可能なら、同期コミュニケーションを選ぶ。」の結論に相反する論説文を書いてみます。 元々は同期型と非同期型のコミュニケーションなら同期型...
思考

論説文と二項対立。〜それは白にも黒にもなるもの〜

前回は、「同期型と非同期型が選択可能なら、同期型コミュニケーションを選ぶ。」というエントリを書きました。このエントリに限りませんが、当blogではよく出てくる「二項対立」について少し書いてみたいと思います。このblogに書かれているほとんど...
ほぼエッセイ

同期型と非同期型が選択可能なら、同期型コミュニケーションを選ぶ。

コミュニケーションの重要性が叫ばれる昨今において、コミュニケーションをはかるための方法やツールも沢山あります。しかし、それらは大別すると同期型と非同期型のふたつにわけられます。 同期型コミュニケーションというのは、コミュニケーションをとりた...
ほぼエッセイ

「自分のことは自分が一番よく分かっている」?

ときどき「自分のことは自分が一番よく分かっている」というのが本当かどうかについて、論争が起こります。この議論は収束を見ないことも多いのですが、それもそのはずどちらも一面的には正しいからです。というのもモノの見方には、「主観」と「客観」のふた...
ほぼエッセイ

何かをやめるときは余剰リソースの振り向け先を決めておけ。

世を見渡すと、何か新しいことを行うときに何かを行わないことを決める事例は少ないようです。政治家の公約でも社長の年頭挨拶でも「○○に力をいれます」とは言っても、「そのかわり××はやりません」というのは聞いたことがありません。しかし、特に時間と...
ほぼエッセイ

教えるためには言語化する能力が必要。

世の中には教えるのがうまい人とへたな人がいます。その分野において成果をあげている人には教えを請いたいものですが、必ずしもそういった人が教えることに長けているとは限らないのが難しいところです。人間は基本的に言語によってコミュニケーションを行い...