【IT論考β】 常識的に考えるというのは一種の思考停止か?[#282]

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■ 有名なアインシュタインの名言に

  「常識とは18歳までに身につけた
   偏見のコレクションのことをいう。」
   
  というものがあります。
  
  常識といえど偏った見方のひとつ
  といわれれば、確かにそうかもしれません。
  
  
  学問上(科学)の常識というのも
  時代とともに変化していますが、
  
  日常における常識というのは
  もっと急速に変化しています。
  
  
  それどころか、同じ時代であっても
  場所・業界が変われば常識も変わります。
  
  
  万人普遍で通じる常識などというのは
  存在しないと考えるのが妥当でしょう。
  
  
■ ところで、日本文化というのは
  「察する」ことを是とするようです。
  
  別名、「空気を読む」文化ですね。
  
  これはうまくいっている場合は
  いいのですが、
  
  言語によるコミュニケーションを
  回避しているので、
  
  ボタンの掛け違いが起こると
  なんとも悲惨なことになります。
  
  
  「常識的に考えれば…」と
  言ったところで、自分と相手の

  常識が一致しているという保証は
  どこにもありません。
  
  それは単に「自分にとって」の常識
  であって、相手にとってはそうでは
  ないこともあり得ます。
  
  
  多様化が叫ばれる昨今においては
  より、その可能性は高まるでしょう。
  
  
  「常識」という単語を持ち出した時点で
  ある種の思考停止だと言えるかもしれません。
  
  相手の考え方・価値観を理解しようと
  するならば、自分の「常識」外のことも
  当然あり得ると考えるはずですから。
   
  
■ 何気なく使ってしまう「常識」ですが、
  気付かぬうちに思考停止に陥っていないかには
  ゆめゆめ注意する必要がありそうです。
  
  常識というのは偏見のコレクション
  なのですから、、。
  
  
 今日の【まとめ】
 ■ 時代や場所・業界が変われば常識も変わる
 ■ 万人普遍の常識などというのは存在しない
 ■ 常識を持ち出したら思考停止の兆候か?

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