情報化社会は続くけど、脱webは起こるかも。

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情報化社会とは、「情報が諸資源と同等の価値を有し、それらを中心として機能する社会のこと。」とWikipediaには書いてあります。世界が資本主義のルールでまわっていることを考慮すると「情報が金銭価値を有し、既存の経済に組み込まれる」と考えればよいでしょうか。

情報化社会がインターネットの登場によって急速に普及したというのは論を待たないわけですが、あくまでインターネットが社会の情報化を後押ししただけで、インターネットそのものが情報化社会ではありません。

インターネットが情報の流通コストを劇的に低減したために情報化が急速にすすんだのです。換言すると、インターネットなしでも情報化社会は存在しうるということになります。

ところで、「インターネット」とは単にネットワークシステムを表す単語なのですが、日本で「インターネット」や「ネット」と呼称されているものは「Web(World Wide Web)」であることが多いようです。

Web上にあまりに多くの情報が氾濫するようになったために、キュレーションというサービスが求められるようになった、というのは以前にとりあげました。このままいくとWeb上の情報は増え続ける一方でしょう。

冒頭で「情報が金銭価値を有し」と書きましたが、現在Web上に存在している情報のほとんどは無料です。これは資本主義のルールから考えるとおかしな状況です。この状況にはいろいろな解釈が可能とは思いますが、「圧倒的多数の情報は無価値だからタダなのであり、一部の価値ある情報は適切な値付けがされていないからタダ」なのではないか、というのが筆者の見立てです。

圧倒的多数の情報が無価値な中で、一部の価値ある情報を目利きしてくれるのがキュレーションサービスというわけです。まともなキュレーションサービスがない時代に、Web上では情報の目利きを自分でやる力が求められることを指摘したのが、ひろゆき氏の名言「嘘を嘘と見抜けないと難しい」ではないでしょうか。

Web上の情報がどんどん増えていく中で、人間が処理できる情報量は有限ですから、より高精度な目利き力が求められるようになるでしょう。Webの世界を使いこなすは簡単に見えて実のところ結構難しく、その難易度は年々あがっているのかもしれません。

どこかでこの状況が臨界点に達して、リアル世界への揺り戻し、つまり脱webが起こることはあり得るのではないか。そんな風にも思うのです。

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