何も考えないで生きていると高校選択が人生の岐路?

ほぼエッセイ

よく聞く法則の一つに

自分の収入は日頃付き合っている5(10)人の収入の平均になる

というものがあります。

この法則が統計的な裏付けをどの程度持っているかは知らないのですが、経験的にはかなり当たっているように感じます。そしてよくよく考えてみると、何も考えずに生きているとこれが高校あたりで決まってしまうことに気づきます。

義務教育を公立の小中学校で過ごすと、高校受験が最初の受験になります。高校を選択する基準はいくつかありますが、他に明確な希望がなければその時点の学力によって決まってきます。いわゆる進学校とよばれる高校には各々の中学でそこそこ勉強が出来た人が集まります。だから進学実績が高くなるという見方もありますが、実は環境というファクターはかなり大きい気がしています。

進学校に通っていたりすると、志望調査表みたいなものに「どこの大学を目指しているか?」を定期的に書かされていました。医者になりたい人は医学部と書くし、特に志望校なんてない人もとりあえず旧帝大を書くわけです。そうすると周りも似たような感じになっていって、医学部か旧帝大を志望するという状況になります。本人たいはそこまで深く考えたわけではないのですが、ここで日本文化の真骨頂である「周りに流される」が発動します。みんなが目指してるから自分も目指してみるわけです。みんなが勉強するから自分も勉強するので、結果、偏差値的には似たり寄ったりな大学に進学することになります。

日本はいまのところ学歴社会が完全には崩壊していないので、企業に就職するとなるとある程度は大学名の影響を受けます。学歴フィルタリングが存在しているのは公然の秘密であり、もはや日経電子版に載っているぐらいです。そうすると何も考えずに就職活動をしていると、周囲の人間の志望企業に影響されて、やっぱり似たり寄ったりなところに就職することになります。それが往々にして大企業とよばれるカテゴリであったりするわけです。

かくして、冒頭の法則の年収に落ち着くわけです。あとは、同僚と仲良くしようと高校・大学の友人と仲良くしようと、そんなにブレは大きくないのでそのまま生きていくことになります。

そもそも人間は外部環境の影響を受けるわけですが、何も考えてないと完全に「周りに流される」ので、かなり早い段階の選択がその後を決めてしまうという恐ろしいことになります。

それを後から変えるにはどうするかはまた別のお話で。

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