情報化社会が進むほどに古典の重要性は増す。

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情報化社会の進展とともに世の中に流通する情報量は増加の一途をたどっています。コンピュータによる処理で情報を処理して新たな情報を生成するのが簡単になったというのが一つの要因です。これは主に企業内でのデータにみられる現象です。

近年では個人が情報を生成する敷居が大きく下がりました。厳密には生成した情報を半永久的な形で残すことが可能になったというべきかもしれません。以前なら手帳などに書き留められて他の人間に触れることはなかった情報が、いまはblogやツイート、SNSへの書き込みなどで記録されるようになりました。

さて、企業も個人も情報の生成が簡単になった結果、世の中に流通する情報量は増加する一方です。日々、大量の情報が発信され、まとめサイトでまとめられ消費されているのが現状です。すでに情報の海に辟易し始めている人もいるように感じます。

流通する情報は増えていますが、それらのほとんどは個別・具体を語った情報です。個人の日記的なツイートはその極みですし、企業が発信する情報でも日々移ろう事柄に関するものだったりします。人間の営みに真に重要な事柄が爆発的に増えているわけではありません。

物事は一般化するほどに字面としての情報量は少なくなります。例えば物体の運動についての記述が一般化すれば F=ma という方程式になるように、具体的な事象であってもそれを支えているのは少数の法則(方程式)だったりします。もちろん、それは科学という学問の目的が世の中の事象を一般化することにあるからでもありますが。

あまりに身の回りの情報が増えていく中で情報に溺れ、個別的な些末な情報に流される。これからもっとそれが顕著な時代になりそうです。そんな時代にこそ、いかに普遍的なものに注力するかが情報化社会を生き残る肝となるかもしれません。そして、その役に立つのは古典とよばれるような情報群でしょう。

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