SNSの繁栄が格差を助長する?

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先日「SNSは何かを変えるのか?」というエントリを書きましたが、今回はもう少し踏み込んで考えてみます。

インターネットの出現によって地球上における物理的距離による制約が相当緩和されました。そのあたりは、 「フラット化する世界〔普及版〕上」にも述べられている通りです。

ただ、当初のインターネットはプル型なのでこちらから情報を取りに行かなければなりませんでした。そうなるとリアルタイムの情報を取得するのは難しいので、多少なりともタイムラグが生じることになります。そういう意味では流れの早い世界といえど、今よりは流れが遅かったのです。 

SNSはインターネットの世界に明確に時間の流れを持ち込みました。タイムラインという形で情報はリアルタイムに流れていきます。そして流れ去った情報はほとんど顧みられることがありません。Webページやblogがある程度静的に保存されて後からでも参照されることが多いのに比べると、SNSの情報は蓄積はされていてもほとんど顧みられることはないでしょう。 

SNSが時間の流れを持ち込んだことによって、インターネット上の時間の流れは早くなったのかもしれません。そして流れが生じるということは、その流れに乗ったものと乗らなかったものに大きな差を生じさせることになります。 

リアルな世界(現実世界)に比べれば、インターネットは遙かにオープンな世界です。そこにSNSという形でリアルタイム性が持ち込まれたとき、現実世界とインターネットの世界のどちらでより革新的なことが起こるのか?それは後者のように思われます。かつて日本が鎖国をしている間に欧米に先を越されたように、あるいは技術レベルは高くとも内向きでガラパゴス化した昨今の日本製品のように。 

オープンな世界でコミュニケーションを図りながら新たなものを創造していく人がいる一方で、その波に乗れず取り残されていく人も出るでしょう。突出した存在である人同士がSNSを利用して結びついてさらに突出していく一方で、凡庸なひとは大体数の中に埋もれていく。そういった流れはもしかすると加速するやもしれません。ともすれば、SNSは格差をより助長させる存在になるでしょう。 

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