オタクが圧倒的な専門家へと変貌するとき。

評論

これからは突き抜けた存在であることが重要、というのが筆者が昨今見聞きする情報から得られた一つの解です。ナンバーワンであることともいえますし、オタクであるという言い方も出来ます。

オタクという言葉がもたらすイメージもここ数年で変化している感はありますが、まだまだネガティブなニュアンスが含まれることもまた事実のように思います。オタクというのは好きな事柄に対しては非常に細かな情報まで把握しているので、それが常人の目からすると奇異に映るのでしょう。

ただ、異様なほど詳しいという点では専門家も同じです。ではオタクと専門家の違いは何か?

ひとつ、好きでやっているか否か、が大きな違いでしょう。オタクは誰に頼まれるわけでもなく好きなことを突き詰めています。そこに何らかの見返りを期待しているわけではありません。

もうひとつ、それが自己完結しているか否か、もポイントになります。オタクは自己の欲求によって物事を探求していて、それを世の中に還元することは目的ではありません。専門家はその専門知識を世の中に還元して役立てることが求められるし、そうしてこそ専門家の存在意義が生まれます。

オタクは圧倒的な時間と意気込みをもってひとつの事柄に取り組んでいますから、職業専門家を圧倒するだけの成果を出し得ます。職業専門家に24時間働かせるのはブラック以外の何者でもないですが、オタクは頼まれなくとも24時間それに没頭するかもしれまえん。好きなことに執念を燃やして時間を投入したならば、成果があがらないことのほうが希でしょう。

オタクが持てるものをうまく世の中に提供する方法を見いだしたとき、単なるオタクから圧倒的な専門家へと変貌するのです。無論、オタクのまま終わることも多いわけですが…。

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