インプットした情報をアウトプットする場を持っているか?

ほぼエッセイ

ふつうに生きているだけで人は日々大量の情報にふれています。その中には本当に雑多なものもあれば、貴重なものもあります。場合によっては本人の気付かない価値がある情報もあるかもしれません。

当たり前ですが、人はそれぞれ違った人生を生きているので、ただ生活しているだけでも他人とは違った情報を手にしています。まして、何かを能動的に学んだとしたらそれを自分の経験と統合・再編集した情報は極めてオリジナリティを持つはずです。

したがって、よく学んでいる人ほど価値ある情報を持っている可能性は高くなります。問題はそれを本人が自覚しているかということと、適切なアウトプットする場を持っているかです。

情報を持っている当の本人がその価値に気付いていなければ、それがアウトプットされることはほとんどないでしょう。なにせ本人にとってはあまりに当たり前で語るほどの価値もないと思っているからです。しかし、ある業界での常識が別の業界の非常識であり、かつそれがイノベーションのタネになるというのはよくある話です。

もう一つは、アウトプットする場を持っているかです。本人が自分の持つ情報の価値が分かっていたとしても、それを発信する機会がなければ実質無価値です。その場は教える場に留まらず会議や雑談かもしれません。あるいは、文字ならSNSかもしれないし、Blogかもしれないし、メルマガかもしれません。

いずれにせよ、発言・発信する場がなければせっかくのネタも持ち腐れということです。

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